令和6年9月7日(土)午後4:30、俺の母親、藤木秀子が奥多摩病院で息を引き取った。
親父が死んだのが令和元年6月14日だった。
親父が死んで一人で暮らせなくなった母親は、奥多摩の幸房の家に引っ越すことになる。
幸房の家では、入居者の方たちとおしゃべりしたり、歌を歌ったりと楽しく過ごしていた。
その後、足腰が悪くなり、グリーンウッド奥多摩に入所。
グリーンウッド奥多摩では、自分で歩くことはできず、車いすでの生活を送っていた。
7月7日(日)面会に行った時には、少し背中が痛そうだったが、しっかり話もできていた。
しかし、9月2日(月)血圧が低くなり、食欲もなく、本人が苦しいと訴えたことで、奥多摩病院に入院することに。
俺も病院に駆けつけたが、意識がもうろうとしており、受け答えができない状態になっていた。
肝臓がんの疑いがあると言われたが、体力的に手術は厳しいと考え、緩和ケアを希望した。
痛くなく苦しまないような処置が俺の最大の願いだった。
俺の母親は臆病でさみしがりで、痛みに弱いから。
9月7日(土)午後14:30、容体が悪化したと病院から電話が入り、病院へ駆けつける。
病室に入り、母親の右手を握り呼びかけたが反応はなく、喉元が苦しそうに震えているだけだった。
それからほどなくして、俺の母親は息を引き取った。
俺を愛し、育ててくれた母親に心からお礼を言いたい。
これからは天国で親父と二人、心配事などなく静かに過ごしていくことだろう。
俺のお母さん!
85年間本当にお疲れ様でした。
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