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執筆者の写真酒井厚志

【読書】おじさんはどう生きるか『バリ山行』

更新日:11月5日

ちょっと前に一日中座って本を読んでいい時間があったので三冊読めた。

少しでも興味を持ってもらえらばいいなと思って連続でメモを残してみることにした。



アウターヘイブンを求め、おじさんは道なき道へ。

『バリ山行』松永K三蔵 講談社



書店の平積みコーナーにて、

芥川賞受賞

とでっかく書かれた帯と、おっさん向けファッション誌の表紙も飾れそうな洒脱な著者の写真が目に入った。


タイトル、『バリ山行』。バリ島の登山なんて聞いたことがない。いや、バリ島は火山があったような?

本書は知る人ぞ知る、奥深きバリ登山の世界を描いているに違いない。

知識欲と芥川賞の威光により、俺は迷うことなく単行本を購入した。


あらすじ

まず、この物語とバリ島とは全く関係がない。


主人公は、建築の補修会社に中途採用で入社したおじさん。

おじさんはめんどくさがっていた、勤務後の飲み会を。


会社員にとって大事な活動の一つ、それは社外でのコミュニケーション。

仲間の連帯が育まれ、時には人事にも影響する。わかっているけどめんどくさい。


そんなおじさんが、社内の登山部に参加することになり、意外にもその魅力に惹かれていく。

楽しい登山部生活が続いていたある日、部に日陰者で変わり者、むしろ社内で疎まれている男、妻鹿(めが)さんが加わることになる。


「…あいつ、バリやってんだよ」 


安全な登山を計画する上司が、忌々しげにそう呟く。

は?「バリ?」なんだそれ?主人公と同様、読者である俺も「バリ」が気になってが仕事が手につかない。



会社員の世界と、世界の外側としての山

会社とは、会社員にとっての「世界」だ。

会社が終われば、その「世界」も終わる。


もちろん現実に世界が終わるわけではないが、場合によっては離婚したり、家や伴侶、子どもを失ったりもする。

トルネコやシレンのように、すべての装備を失い振り出しに戻されるようなものだ。

ゲームであれば、「何度だってやり直せばいいさ」と楽観的に楽しめる。しかし現実は?

リセットのたびに年齢を重ね、会社員としての価値も目減りしていく。

人間としての価値が年齢とともに下がっていく現実と向き合うことになるのだ。


山は会社員にとっての「アウターヘイブン(外側の安息地)」のように思えるが、結局それも現実逃避に過ぎないのかもしれない。


そんな泥沼の世界を、主人公のおじさんと読者である俺は、シンクロ率100%で妻鹿さんの背中を追いながらもがき続ける。


果たして「世界」とは会社なのか?あるいは家庭なのか?

おじさんが「バリ」の果てに見る景色とは?


世界とは、勤務後の飲み会で確実なものにしていくものなのか?

うーん、ま、そうかもね!


社会が人間にとって世界であることは確かだ。家庭も学校も会社も、人間同士が同じものに向き合うことで生まれる世界。共同幻想、とまでいうと言い過ぎかもだが。

山はその外側、約束事のない本物の世界として存在する。

そこに触れることで、人間同士の作り上げた世界に囚われていたことを確認する事ができるのだろう。


おじさん、山、アウターヘイブンといえば、思い出した映画があった。


(かみがみのいただき)


2021年フランスのアニメ映画。原作小説は夢枕獏だそうだ。

息を呑むような山の描写が凄まじい、傑作だった。


この映画では、羽生という孤高の登山家と、羽生を追いかける山岳ジャーナリストの深町が登場する。

日本版での声優は大塚明夫と堀内賢雄だ。


羽生は山を自分の世界そのものにしている男だ。

山を「アウターヘイブン(外側の安息地)」とするなら、彼は内側の社会に居場所を持たない、

「アウターヘブン(外側の天国)」の住人だ。


そんな羽生の足跡を追いかけるジャーナリストの深町。

挑むことになるエベレスト登山は、外側の安息地などという優しさはない...

山と社会と世界、そんなことを考えながら見てもいい映画だ。


やっぱり俺も山に登った方がいいのか...

長くなってきたのでもうおしまいにしたい。


『バリ山行』、気が向いたら読んでみて!


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