優しくて冷静な熱いバトン
『暇と退屈の倫理学』 國分功一郎 新潮文庫
暇が欲しいから仕事してますっていうと冷めた目で見られる問題
自分の仕事の社会的意義について本音で語ろうと思えば、もちろんできると思う。
しかし一方で、俺は「暇な時間」を作るために仕事をしている。これは相反する本音と建前じゃなく、嘘のない多面的な本音だ。
仕事はできるだけ効率化して、早く片づけたい。早朝だろうと深夜だろうと、良い仕事を早く仕上げるのが理想だと思う。結局、俺は怠惰な時間を楽しみたいのだから。
しかし「暇な時間のために仕事してる」って言うと結構な確率で、「あーこいつとは話になんねえ」という感じを態度で出される場合がある。どうでもいいことだが多少は心に残る。
そんな俺を突然やってきて肯定してくれたのが本著である。まじかやっぱり俺は間違っていなかった!!
待て待て、故にかなり恣意的に読んだり、読めていない部分もあるだろうことは注意しておきたい。
なにかの本を読んで、「我が意を得たり!」とおっさんが盛り上がっている時にロクな事はない。
他人に冷たい目で見られたら、自分自身を冷静に見た方が良い。
あらすじ
本著が扱うテーマはタイトルそのもので、『暇と退屈』に人間はどう向き合ってきたか、どう向き合っていくべきか。
人は労働の対価として『暇』≒賃金を得るが、その暇を持て余して、いつしか『退屈』してしまう。
退屈に耐えることはむずかしく、退屈解消のために労働で得た賃金を使って、コマーシャルに従って消費する。あるいは何かに熱中する。それにもいずれ飽きて、次々と新しいものを求めるようになる。果てることなき退屈しのぎ…
『退屈』はいつから生まれ、人類はどのように付き合ってきたのか、歴史上の名だたる哲学者の考えを紹介しながら探っていく。そして、今を生きる俺たちに向かって、『君たちはどう生きるか』を問いかけてくる。そんな感じ
カッコ良すぎる前書き
俺は友人と新宿で飲み歩くうちに、なんとはなしに目についたバーに入った。
ってハードボイルド小説かと思うような前書きから始まった。一人称「俺」で、ロマンチックでもなく、はっとする驚きとは無縁の厭世的な情景に、よくわからんがつかまれた。
著者の國分功一郎氏といえばTBSラジオリスナーなら少し馴染みがあると思うが、こんなかっこいい前書きを書く人だったとは。…そんな気はしていたぜ。
読める
この本には哲学のレジェンドたちがたくさん登場し、紀元前にさかのぼったり、ダニの視点に立ったりと、まるで時間空間を超えた旅をしているようで楽しい。
難しい内容もできるだけ噛み砕いて、手に取った人に最後まで読んでほしい、という著者の思いが伝わってくる。
「興味はあるけど、哲学って難しくてわかんねえ」くらいの人にもうってつけの一冊かもしれない。俺もそんな感じ。
そんな俺が、この本を読み切る頃には國分さんから熱いバトンを受け取った気分になってしまった。
学校で好きになれる先生を見つけた感覚というと、興味を持ってもらえるだろうか。
哲学というのが大雑把にいって「君たちはどう生きるか?」(便利すぎるなこれ)だとすれば、
『暇と退屈』という切り口で、「君どう」ストレートパンチを読者のド真ん中に放とう、というのが本著なんだろう思った。殴られたい人にもオススメです。
人生をかけた「俺はこう思う、お前はどう思う?」 それが作品てものだよね。
『暇と退屈の倫理学』、気が向いたら読んでみて!
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