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執筆者の写真藤木孝明

【読書】日本の心が遠いアフリカの大地で受け継がれていた。『今日、誰のために生きる?』

更新日:2024年12月23日



これは遠いアフリカの地タンザニアにあるブンジュ村での話である。

その村では、子供が「流れ星を捕まえたい」と言えば、村人総出で捕まえに行き、医者になりたいと願う子供がいれば、町医者のもとにつれていき、医者という職業が如何に素晴らしくやりがいのある職業か話してやるのだそうだ。

村には3つの掟がある。

1.ごはんが食べられることに幸せを感じられか

2.「ただいま」と言ったら「おかえり」と言ってくれる人がいるか

3.抱きしめられたら、暖かいと感じられる心があるか

この3つがないと村人として認めてもらえないのだ。

村では喧嘩したら、その日のうちに仲直りをする決まりもある。

仲直りする時には、大自然の中でお互いの本音を言い合い仲直りをするらしい。

人間は自然の中に身を置くことで、素直になり許し合えることをブンジュ村の人たちは知っているのだ。

そのくらい自然を愛し、自然と共存共鳴しているのが、ブンジュ村の人々なのである。

ブンジュ村ではとことん無駄を楽しむことに重きを置いている。

無駄を楽しむためには、心に余裕がなければ出来ないし、心に余裕を持つためには自分を愛し満たしてあげること。

そうすることで人にも優しくなれるのである。

なぜならば、自分が満たされてない状態で、他人を満たそうとする行為は偽善であり、見返りを求める行為になってしまうからだ。

まさに今の近代社会がそんな風潮に支配されているのではなかろうか。

なんでも金銭に換算され、収入を得ている人が絶賛され、貧乏人は淘汰される。

そんな世の中で本当にいいのだろうか。

いいはずがない。

逆説的な言い回しになるが、世の中が便利(効率よく)になればなるほど、不便(効率悪く)になる。

タイパ、コスパに象徴されるように、そこには無駄を楽しむというような考え方はなく、如何に目的地に早く効率よく着くかというような考えしかないように思えてくる。

本来なら辿り着くまでの道のりが楽しかったり、計画を練っているときに喜びを感じたりするはずなのに・・・

だが驚くべきことにブンジュ村での生き方は日本人に教えてもらったのだという。

無駄を楽しみ、すべてのものに感謝する生き方。

日本には神道に由来されるように「万物に神々が宿るとする考え方」がある。

しかし、今の日本人はそんな考え方はがほぼほぼ消滅しているように見えるのは、僕だけではないだろう。

今を生きる日本人よ、今一度、日本の精伸を復活させようではないか。

遠いアフリカの地より教えられし日本の心‼


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